COLUMN

クラビズコラム

ひとりぽっちで岡山に移住して本当によかった

■「直感」に導かれた岡山移住

こんにちは。くらしきぬの広報・ブランディングを担当している佐藤文子(さとうあやこ)です。

秋田生まれ、千葉育ち。すきな食べ物はカレーと餃子と薬味全般です。

 

わたしは昨年の夏のおわり、瀬戸内海をひとり旅していたら「ビビビ!」ときて、岡山への移住を決めました。

 

それまでは「決め手?そんなの直感ヨ」と脚組んでタバコ吹かしながら語ってしまうような女性に憧れていた節さえあったけれど(タバコは吸えません)、移住の決断は、まさに「直感」という揺るぎのない何かに突き動かされたものでした。

 

てんびん座のわたしは(?)重要な決断をするとき、考えられる選択肢を並べてメリットデメリットを洗い出して、秤にかけて納得いくまで比較検討して・・・というプロセスを踏むことが多かったのですが、このときは違いました。

生まれてから今まで自分が見聞きしたこと、経験してきたこと、感じてきたことの総動員で作られた「直感」が走ったとき、ビビリなわたしもびっくりするほど迷わないことを知りました。

 

■恋い焦がれた東京で生きていた

わたしは幼少期から千葉県のベッドタウンで過ごし、早く東京に出たくて仕方ありませんでした。

自称「千葉の渋谷」といきがっている自分を恥ずかしいと思いながら、東京を舞台としたドラマの中で描かれる、きらきらした都会の生活を目にしては「私もいつかこんな風に」と未来に夢を膨らませました。

 

そもそも、市井の営みや文化のエネルギーを感じる「街」というものが好きなので、学生時代はニューヨークやロンドン、パリ、ハノイなど、大都市を旅行先として選ぶことも多かったです(一番すきな絵画は、ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』です…)。

 

だから社会人になって、夢にも見たレインボーブリッジが目の前に広がるオフィスで働けたときは、憧れだった大人の世界に仲間入りを果たせたような気がして、ずいぶんと心が浮つきました。

当時から「一度きりの人生、心から惚れ込んだ街にしか住まないぞ」と決め込んでいたので、東京では鳥のさえずりが聴こえてきそうな名前に一目惚れした「清澄白河」と笑いの活気が漲る「浅草」に住み、東京と蜜月の日々を過ごしました。

 

一方で、「地元」について誇らしく語る地方出身の友人と話していると、「地元愛」とやらを持っている人たちはなんだか揺るぎない原点があるようで羨ましく感じていました。

 

清澄白河も浅草も、近くに「川」が流れていることも決め手のひとつ。 夜な夜な隅田川を散歩していました。

 

■感情を取り戻してくれた瀬戸内海

憧れの環境で働けたといっても、現実は甘くはありません。東京ではPR会社で5年半ほど働いていたのですが、仲間と達成感を味わいながら飲むビールの旨さを知る夜もあれば、悔しさとふがいなさでオフィスを出た瞬間ぐしゃぐしゃに泣きながら帰る夜だって、何度もありました。

 

そして昨年の夏頃、わたしは仕事で無理がたたって心と体のバランスを崩し、しばしお暇(いとま)をいただくことになります。

お暇中に、ゆらりゆらりと辿り着いたのが岡山でした。

 

瀬戸内海は、以前にしまなみ海道を訪れたことがあり、その時は淡いブルーに浮かぶ島々の美しさに衝撃を受け、認識していた「海」の概念を覆され、「レモン農家に嫁いでここに永住したい…」とぼやいていたほど。

その時目にした瀬戸内海の景色が忘れられず、もう一度あのブルーを求めてひとり目指したのが、岡山の児島という場所だったのです。

 

毎日ころころと表情を変える海と空を眺めながらぼーっと過ごし、直島や豊島の現代アートに五感を刺激され、地元の人たちとおしゃべりをし、本当にごくごく自然な心の動きで「あ、ここに住みたい。住もう。」と決めていました。

 

瀬戸内海に浮かぶ自然とアートと人は、自分の生身の欲求が見えにくくなっていたわたしに、感情を取り戻してくれたのです。

「わたしが今、大事にしたいものはここにある」という、確かな気づきがありました。

 

ひとり旅中は、「瀬戸内海にはブルーのワンピやろ!」とそれしか着ていませんでした。

 

■「心のふるさと」は気づいたらできていた

「ビビビ!」を信じて岡山に来てよかったなぁと、心から思っています。

 

一日の中で、ときめける景色に何度も出くわして感動できるって、すごいことです。1000円足らずでぷりぷりの新鮮なお寿司をお腹いっぱいに食べられることもすごいことです。

 

何よりも、岡山に来てからの半年あまりで、日々共に働いているクラビズの仲間はもちろん、人生に欠かせない人との出会いがいくつもありました。

「なんか楽しそう!」とか「めちゃ好きだなぁ」というピュアな気持ちを持ち続けていれば、もしかしたら一生青春のようなみずみずしい時間を過ごせるのかもしれません。

 

わたしは生まれ育った地元を捨てたのでも何でもなく、むしろ離れた場所で、大切な人たちがそれぞれの人生を懸命に生きているからこそ、わたしも新しい土地で自分自身でいられるのです。

 

「心のふるさと」のような場所が欲しいとずっと思っていましたが、今思えば、自然の美しさを原体験として教えてくれた秋田も、大切な家族と友人が暮らす千葉も、憧れを叶えられた東京も、わたしにとっては大事な「心のふるさと」になっていました。

 

今後、わたしはまたどこか違う場所に住むかもしれないし、惚れた土地をホッピングするかもしれないし、一生を岡山で過ごすかもしれません。3年先も想像できないという状況は、不安と期待のバランスがちょうど良くて、わたしはそのスリルがとても楽しい。

 

どうなるかはわからないけれど、この先何があっても自分が大切にしたいものを大切に、自分の感性の一番の味方でありたいです。

 

 

心が乾ききっていた昨年の夏に、尊敬する友人が教えてくれた、茨木のり子さんの「自分の感受性ぐらい」という詩で、この文章を締めくくりたいと思います。

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

クラビズのお客様でしょうか、くらしきぬのお客様でしょうか?

それともクラビズの同僚、いや、お友達でしょうか。

一方通行のテキストだけでなく、いつか顔を合わせておしゃべりできたらうれしいです。

 

それでは今日も、いい一日を。

 

自分の感受性ぐらい

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性ぐらい

自分で守れ

ばかものよ

 

茨木のり子

詩集「自分の感受性ぐらい」